【甘味から希望へ――花蓮・光復糖廠の再生の道】
【光復糖廠に来たら“爆買い”しよう】
花蓮・光復糖廠の物語:
この10年、台東へ向かう道すがら光復糖廠に立ち寄ってアイスを食べ、それから南下するのが定番でした。
観光客や観光バスが増えてからは、通り過ぎるだけで必ずしも毎回アイスを買うわけではなくなりましたが、
9/23の花蓮・光復の災害を機に、
台糖・光復は“ショベルヒーロー”や各種重機の後方支援基地となり、
再び花蓮・光復の焦点となりました。

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台糖・光復糖廠の公式投稿より:
災害に直面して、台糖・光復糖廠は即座に行動。
🏠 前進指揮所と救護ステーションとして敷地を提供
🛏️ 救助隊の休養用に花蓮のホテル客室を支援
🥡 即食可能な製品を提供し、救援のエネルギーを補給
この土地に百年育てられ、いま私たちが守る番です。
🙏 最前線で戦うすべての英雄に敬意を。台糖は皆さんと共にあります。

花蓮が最も助けを必要とした瞬間、台糖・光復糖廠は真っ先に支援へ。救災と復興の後ろ盾として、人々と共に花蓮を守りました。
この期間、経済部も総力を挙げ、水電の復旧や給水調整に奔走。台糖は敷地とロジ支援を提供し、光復糖廠は救災の重要拠点に。臨時指揮センター、救急ステーション、物資配布センターを設置して必要な人が物資を受け取れるようにし、休憩スペースも開放。救助隊と住民がひと息つける場所を整え、挑戦に立ち向かえるよう支えました。
現場の台糖スタッフは即食できる製品を差し入れ、最前線の仲間にエネルギーを補給。大型機械の出入りのために工場敷地も解放し、すべての救災ヒーローと肩を並べて花蓮を守りました。前線で奮闘する一人ひとりに、心からの感謝を。
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花蓮・光復郷には、地域とほぼ一世紀を歩んできた古い煙突がある。
かつては昼夜を問わず白い蒸気を吐き、甘い香りが町中に漂っていた。
それは台湾製糖の最盛期であり、光復郷が最も賑わい、希望に満ちていた時代の匂いでした。

[ 一つの糖廠は、一つの時代の記憶 ]
花蓮糖廠は民国10年(1921年)創建。台湾東部を代表する製糖拠点でした。
大農・大富のサトウキビ畑から、工場での圧搾・精製・包装まで、
光復郷の暮らしは、この糖廠と固く結びついていました。

夜明け前に畑へ出る蔗農、満載のサトウキビを積んで工場へ。
蒸気に満ちた空気の中、忙しく働く職人たち。
砂糖の甘い香りと汗の匂いが混ざり合う――それが光復のリアルな日常。
汽笛の合図が、人々の生活のリズムでした。
当時の光復郷は人口2万4千人に達し、
学校は子どもたちの笑い声であふれ、商店街は人波が絶えず、鉄道も毎日のように停車。
まさに「糖によって栄えた」町の典型でした。
[ 炉が止まった日 ]
しかし時代の波は容赦がない。
国際砂糖価格の下落、産業構造の転換とともに、
民国91年(2002年)4月2日、花蓮糖廠は正式に炉を止めました。
その日、古参の職員たちは作業服を脱ぎ、煙突から消えていく最後の白煙を見上げました。
目を赤くする人、黙って座り込む人。
それは単なる生産停止ではなく、地域が共に別れを告げる瞬間でした。
やがてサトウキビ畑は荒れ、蔗埕は空になり、
甘い香りは消え、台鉄の列車も光復駅への停車を次第に減らしました。
わずか10年で、人口は1万6千から1万3千余りへ。
賑やかだった社宅は静まり、
子どもたちは成長して町を離れ、年配者が昔日の記憶を守るのみとなりました。

[ 糖廠のある暮らし ]
多くの光復の人々にとって、糖廠は職場以上の存在でした。
操業期に開放される温浴室、社宅前の家庭菜園、年末恒例の工場運動会――
そこにはコミュニティの結束と、共通の生活リズムがありました。
あるOBはこう振り返ります。「夕方になると共同浴場は大賑わいで、
大人は一日の疲れを流し、子どもたちは横で水遊びをしていた。」
そんな一見ささやかな日常の断片が、
今では古い写真の中で最も胸を打つ情景になっています。

[ 転身の始まり:製糖から観光へ ]
幸い、台湾の製糖史はそこで終わりませんでした。
台糖は全国で「糖廠の観光化」を推進し、
古い糖廠に新たな命を吹き込みました。
花蓮糖廠も、製糖工場から観光パークへとリニューアル。
古い工場棟は意匠を残して保存、社宅群は文創ショップや宿泊施設へ。
そして何より人気なのが、ゆっくり走る「園内トロッコ列車」です。

小さな列車は、かつての運糖線路を辿り、
大樹と蔗畑、旧工場の間を抜けていきます。
ベルが鳴ると、人々は半世紀前の製糖時代へタイムスリップ。
子どもは手を振ってはしゃぎ、年長者は静かに遠くを見つめる――
記憶と現在が交差する一瞬です。

園内のアイス店も、旅人の定番フォトスポットに。
丸いアイスのひとすくいが、光復の“甘さ”を今に伝えます。
もう現場で炊いた蔗糖ではないとしても、
この土地の温度と甘やかさの象徴であることに変わりはありません。
[ 9月23日:糖廠のもう一つのアクション ]
今年9月、花蓮は突然の災厄に見舞われました。
馬太鞍の堰塞湖が溢れ、光復郷の多くが被災。
道路は寸断、家屋は水没、電力は途絶え、町は暗闇と不安に包まれました。
そんなとき――
この土地に根づく「苦楽を共にする」精神は、
今も受け継がれているのだと知りました。
かつて糖を生み出したこの工場は、今度は災後に「甘さを分かち合う」。
それは行動となり、地域にとって最も温かな力となったのです。
蔗畑から“平地の森”へ。
現在、糖廠周辺の広大な蔗畑は「大農大富平地森林園区」として再整備。
かつての農業生産は、エコツーリズムと環境教育の拠点へと姿を変えました。
鳥のさえずり、木漏れ日、風の音が、かつての蒸気と汽笛に代わり、
地域再生の希望を静かに物語ります。

光復糖廠は、ただの観光スポットではありません。
若者の起業の出発点でもあり、
カフェを開く人、文化ガイドをする人、ドキュメンタリーを撮る人――
多彩な挑戦が、この土地の新たな価値を映し出しています。
糖廠は歴史にとどまらず、光復の人々の記憶そのもの。
愛と物語に満ちた場所です。
次に台糖・光復糖廠を通るときは、どうか“爆買い”していってください!
この甘やかな土地が、これからも光を放ち続けますように。
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